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東京高等裁判所 昭和47年(う)1471号 判決

控訴人 被告人

被告人 森本博通

弁護人 田島久嵩 外二名

検察官 松本正平

主文

本件控訴を棄却する。

理由

控訴の趣意は、弁護人田島久嵩、同星野タカ、同児島惟富共同提出の控訴趣意書及び同補充書記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一点について。

所論は、要するに、原判決は本件当時の生活保護基準が違憲・違法とは断じ難いと判断しているが、同基準が健康で文化的な最低限度の生活を維持するに足りない劣悪・違法なものであることは明らかである、したがつて原判決には憲法二五条、生活保護法一条、二条、三条、八条、一二条、一三条の解釈適用、採証法則を誤つた違法、重大な事実誤認、理由不備、審理不尽などの違法があると主張する。

思うに憲法二五条は、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として定めたもので、国が直接個々の国民に対して具体的・法律的な権利を付与し、これに照応する義務を負担したものではない。ただ国民は、憲法の趣旨を生かすために制定された法律、すなわち生活保護法によつて、厚生大臣の定めた保護基準による最低限度の生活を保障され、同法による保護請求権を有するものと解される(同法二条、八条一項参照)。もとより右の保護基準は、健康で文化的な最低限度の生活を維持するに足りるものであることを要するが(同法八条二項)、ここにいう「健康で文化的な最低限度の生活」とは、固定した絶体的概念でなく、そのときどきの文化的・政治的・経済的状勢によつて流動する相対的概念であり、その具体的内容は、ある程度の個人差・地域差を免れない事柄の性質上、多数の不確定的要素を綜合考量してはじめて決定され得るものである。したがつてその認定判断は、厚生大臣の合目的的裁量(これは審議会の答申にもとづいて行われるが、最後には種々の条件を考慮した政治的判断による)に委ねられ、この結果については、当不当の問題として政府の政治的姿勢・責任が問われることはあつても、直ちに違憲・違法の問題を生ずるわけではない。単にその裁量が現実の生活条件を全く無視した著しく低い基準を設定する等、明らかに憲法・生活保護法の趣旨に反すると認められる場合にだけ、権限の濫用として違法の問題を生ずることがあると解するのが相当である(以上昭和四二年五月二四日朝日訴訟事件最高裁大法廷判決参照)。記録を精査し、かつ当審における事実取調べの結果をも参酌すると、本件犯行当時の保護基準は、社会福祉審議会生活保護分科会の中間報告にもとづき、それまで「エンゲル係数方式」によつていたものを合理的に改善した「格差縮小方式」によつて算定したものであること、この方式は昭和四〇年度から実施されており、従来「エンゲル係数方式」によつて算定された保護基準を前提としながら、一般の生活水準が相当伸びてきている状況にかんがみ、その伸び率以上に生活保護基準を伸ばし、両者の格差を縮小することをねらつたものであること、昭和四〇年度から四四年度にいたる扶助基準改定率は政府の経済見とおしによる個人消費支出の伸び率よりも〇・一ないし三・三パーセントほどうわまわるところで決定されていること、その結果、昭和四三年度および四四年度の一般動労世帯と被保護労働者世帯の消費支出の格差は、東京都の場合で約五三パーセントにまで縮小され、そのうち一人当りの飲食物費支出は、昭和四三年度で一般勤労者世帯が月六、三九八円、被保護労働者世帯が五、〇二四円、四四年度で前者が月七、一三四円、後者が五、七一一円となつていて、その格差はそれぞれ七八・五パーセント、八〇・一パーセントにまで縮小されていること等の事情が認められる。これらの事情に徴すれば、当時の生活保護基準は、いちおうの合理的な算定方式によつて設定されており、明らかに憲法・生活保護法の趣旨・目的に反するといえるほど低額・劣悪であつたとは考えられない。論旨は結局理由がない。

控訴趣意補充書第一点について。

所論は、本件保護基準が違憲・違法でないとしても、これが適正な基準を大幅に下廻つていることは明らかであり、国がこのような基準しか設定せず憲法上の義務を怠つている場合には、原則として刑罰を科することは許されない、適正基準を確定し、生活保護費、現実の収入などを合算して、これが右の適正基準をこえる場合にはじめて処罰できるのである。そうであるのに原判決が適正基準を具体的に確定することも、被告人の全収入がこれを越えたかどうかを判断することもしないで、直ちに違法性を認めたのは、審理不尽、理由不備、法令適用の誤りであると主張する。

しかし、健康で文化的な最低限度の生活とは、先に説いたとおり流動的な相対的概念であつて、その具体的内容は、事柄の性質上多数の不確定要素を勘案して決定せざるをえないものであるから、特定の時期をかぎつても、それを算術的正確さで明確に決定するのは困難である(所論が引用する厚生省の予算要求説明書は、予算要求のための資料であつて、ここに記載された数字を動かしがたいものとみることはできない)。このような事情にかんがみ、その最終決定は、厚生大臣が専門・技術的な審議会の答申にもとづき合目的・政治的観点から下すべきものとされているのである。したがつて、裁判所がその適正な具体的基準を認定しこれを基礎に問題を判断すべきであるという所論は、裁判所に託された司法審査の限界をこえた要求というほかなく、原審が適正基準を確定しなかつたことが不当・違法であるとはいえない。論旨は前提を欠き採用できない。

控訴趣意第二点について。

所論は、要するに、原判決は、「保護基準が違憲・違法なものであつても、」被告人が毎月三五、二五〇円から七〇、八七八円の収入を得ていながら本件犯行に及んだのであるから、これを正当な権利行使と認められないと説示するが、保護基準が違法ならば、適正な基準額にみつるまでの保護請求権を有するはずであり、その限りにおいて被告人の行為は右の請求権の行使であり、国には財産的被害がないから無罪である。かりに被告人の収入が一部適正基準をこえた場合にも被告人にはどの部分が超過したのか区別がつかず騙取の故意がないからやはり無罪である、原判決には審理不尽、理由不備、事実誤認などがあると主張する。

しかし、所論指摘の原判決にいう「保護基準が違憲・違法なものであつても」という趣旨は、原判決全体をよむと、「自己の生存権を確保するためなら国に対しどんな手段に訴えてもよいという筋合いのものではない、そこにはおのずから限度があり、欺罔という違法な手段で過分な保護費を入手することまで正当な権利行使とみることはできない、かりに所論のような保護請求権があるとしても、その行使は、適正な手段・手続によるべきである。」というにすぎないと解される。またこれまでに明らかにした事情にかんがみれば、法律上被告人に欺罔の意思がないとすることは困難である。以上の理由でこの点の論旨も採用することはできない。

控訴趣意第三点について。

所論は、元来不正受給には行政指導・行政処分が優先し、実際にもそのような取扱いしかされていなかつたのに、被告人が「生活と健康を守る会」の理事をしていたためこの組織を壊滅させるため及び生活保護費受給者を減らすためという政治的・政策的意図からした違法な公訴の提起であるから、刑訴法三三八条四号により公訴を棄却すべきであり、これをしなかつた原判決は、刑訴法一条、検察庁法四条の解釈を誤り、刑訴法三三八条四号に違反していると主張する。

しかし、およそ詐欺罪にあたる不正受給の容疑がある場合に、これを捜査し公訴を提起し得ることはいうまでもない。生活保護法の諸規定にかんがみても、不正受給にかぎつて行政指導、行政処分を優先させるべきであるとは思われない(この点は後述)。また、本件が長期にわたつて行われ、被害総額も四〇五、五三〇円に達していることなど事案の具体性に着目すれば、当時の被告人の家庭の生活状況、犯行の動機等を考慮しても、本件が処罰に値いしない行為とは認めがたく、他の同種事案に対する判決例と比較しても本件起訴に公平さを欠く点があつたとは考えられない。なお所論にかんがみ記録を検討しても、本件起訴が不当な政治的考慮にもとづいて行われたという証拠はない。論旨は理由がない。

控訴趣意第四点および同補充第二点について。

所論は、要するに、本件には生活保護法八五条本文を適用すべきであり、これに刑法二四六条一項を適用した原判決は、右各法条の解釈適用を誤つていると主張する。しかし、原判決のかかげる証拠によれば原判示事実を優に認めることができ、これが刑法二四六条一項に該当することは疑いない。たしかに本件は同時に生活保護法八五条本文にも触れるものと認められる。しかし同条但書は、刑法に正条があるときは刑法によつて処罰する旨明確に規定しているから、本件につき詐欺罪を適用した点に違法はない。所論指摘の所得税法二三八条は規定の態様・趣旨を異にし、本件に適切でない。論旨は理由がない。

控訴趣意第五点について。

所論の要旨は、被告人の担当ケースワーカー山上正人は、被告人が稼働-収入を得ていることをある程度知つており、また福祉事務所も被告人の本件程度の別途収入は容認しながら生活保護費を支給していたものと思われるから、欺罔行為とそれによる錯誤はない、原判決が本件を詐欺罪と認定したのは、刑法二四六条一項の解釈適用を誤り、採証法則に違反して事実を誤認したものであるという。

しかし、山上は原審で証人として尋問を受けたさい、昭和四四年一〇月末か一一月初旬に被告人が働いて収入を得ているとの旨の電話密告を受けたので、被告人に会つて真否を確かめ、保護辞退の申請手続をとらせた、その以前には被告人が働いていたことは知らなかつたとはつきり証言しており、この供述の信用性には格別の疑問点は見あたらない。もつとも、ケースワーカーが被保護世帯における若干の臨時収入の存在を感知しながら見て見ぬふりをし、これを深く追求しないことがあることは証拠上も否定しがたい。しかし本件のように一定の会社に雇われ、継続して相当額の収入を得ているような場合まで、これを看過して保護費を支給する取扱いがされていたとは考えられない。このことは、被告人につき保護打切りの措置がとられた経緯に照らしても明らかである。なお別途収入のある場合にこれを届出ることは法律的義務と認めるほかないこと、(生活保護法六一条参照)、被告人がこの義務を怠つて所定の届出を全くしなかつたこと、このため福祉事務所長が被告人に別途収入のあることを知らず、被告人を有資格者と誤信して毎月法定の保護費を交付していたこと等は、証拠上疑いがない。したがつて原判決に所論のような誤りがあるとは考えられない。論旨は理由がない。

控訴趣意第六、第七点について。

所論は、本件行為は可罰的違法性がなく、また被告人に対して真実の収入額を屈出させることの期待可能性もないから無罪である、原審はこれらの点で刑法二四六条一項の解釈適用を誤り、重大な事実誤認、審理不尽の違法を犯したものであると主張する。

たしかに生活保護基準が相当低く、被告人のように育ちざかりの学童二人と病弱な妻を抱え、自らも持病を有するものにとつて、保護費だけで生計を立て、子供達を養育し教育することが容易でなかつたことは証拠上も察するにかたくない。しかも被告人の場合、生活保護を受ける前からの借金が累積し、これを保護費の中から返済していたというのであるから、なおさらであつたと思われる。被告人が持病をおして警備会社に就職した心情は十分理解できる。これらの点については同情を禁じえないとともに、政治的・行政的施策が一層適切に行われるよう期待する。しかし、生活保護を受けているもの一般の苦しい生活の実態、これに近い生活を送つている低所得の人達が数百万に及んでいる事情に、被告人が得た収入が毎月三五、二五〇円から七〇、八七八円でその大部分は生活保護基準額をうわまわつていたこと、それにもかかわらず一年以上も全然収入の届出をせず、結局合計四〇五、五三〇円もの金員を扶助費名下に入手したものであることなどをあわせ考え、あれこれ勘案すれば、本件について違法性がないといえるほど事案が軽微であるとか、被告人に期待可能性がないとかいうことは困難である。論旨は理由がない。

そこで、刑訴法三九六条に則り、本件控訴を棄却し、当番における訴訟費用は同法一八一条一項但書に従い被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 横川敏雄 裁判官 柏井康夫 裁判官 斎藤精一)

弁護人田島久嵩外二名の控訴趣意

第一点

原判決は、保護基準が違憲、違法とは断じ難いとするが、この点は憲法二五条、生活保護法一条、二条、三条、八条、一二条、一三条の解釈適用採証法則を誤り、重大な事実誤認、理由不備、審理不尽の違法をおかしたものである。

(一) 憲法二五条一項は国に対して、すべて国民が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるように積極的な施策を講ずべき責務を課して国民の生存権を保障し、同条第二項は第一項の責務を遂行する為に、国がとるべき施策を列記したものである。

国がもしこの生存権の実現に努力すべき責務に違反して生存権の実現に障害となるような行為をする時は、この行為は違法であり無効である。

生活保護法は国がまさにこの憲法二五条二項の定める社会保障の一環として、国の責任で同法一項の生存権保障の理念を具体化現実化したものである。

生活保護法二条は、「すべての国民は……この法律による保護を無差別平等に受けることができる」と規定しているが、これは、国民が同法に定める要件を備える限り、同法三条の規定する健康で文化的な生活水準を維持することができる最低限度の生活を保障する保護の実施を請求する権利を有することを規定したものである。

従つて国が国民の右保護請求権を侵害するような行為をしたときは、右行為は違法であり無効である。

ところで、同法三条の健康で文化的な最低限度の生活とは、修飾語ではなく、その概念にふさわしい内実を有するものでなければならない。これは単に生物としての生存を維持する程度のものではなく、人間としての社会生活を可能にするものでなければならない。又、国民の現実の生活資料に基づき、その時点に於ける生活科学を結集して、科学的、合理的に右人間としての社会生活を可能にする健康で文化的な最低限度の生活を探究、把握することは充分なし得ることであり、保護実施機関はそれをしなければならない。

生活保護法八条一項は、「保護基準の設定は厚生大臣が行う。」と定め、同条二項は、「右基準は、要保護者の年令別……その他、保護の種類に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なもので、且つこれをこえないものでなければならない。」と規定しているが、ここにいう最低限度の生活とは、当然同法三条によれば、健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならない。

そして、右厚生大臣の基準設定行為は、前記憲法から由来する右法第三条、第八条二項に規定するところを逸脱し得ないのであつて覇束行為である。

従つて、厚生大臣の定めた基準が前記のような内容の健康で文化的な最低限度の生活を満たすものかどうか厳密に判断して満たしていないと判断する時は即ちに当該基準が違法と断定しなければならない。

そこで、被告人が不正受給をしたとされる、昭和四三年一〇月から同四四年一〇月迄の間、被告人世帯四人が、現実に受給していた生活扶助及び教育扶助につき、具体的に検討するとその当時の生活扶助基準及び教育扶助基準が前記の健康で文化的な最低限度の生活を満たすものには遙かに程遠い劣悪違法な基準であることが明らかである。

昭和四二年度の厚生省の予算要求説明資料(押第三六〇号の)によれば、同省が、科学的と判断した健康を保つぎりぎりの食物費の全額は、昭和四一年現在に於て一日二〇〇円~二五〇円であると述べている。

これを食物費の物価上昇率を考慮し、昭和四三年、同四四年度を各算出してみると、四三年が二二五、八円~二八二、三円、四四年度が、二四〇、六円~三〇〇、八円となる。

昭和四三年一〇月の被告人世帯の生活扶助基準のうち食費は、一人当り、一日一三三、八円、同年一一月~昭和四四年三月迄は一三七、一円、同年四月から同年一〇月迄は一六六、三円となり、昭和四三年一〇月から昭和四四年三月迄は、前記算出した健康を保つにぎりぎりの全額の最低額と比較しても、三分の二に至らず、更に、昭和四四年四月から一〇月迄は、ほぼ三分の二である。

被告人世帯が昭和四三年一〇月~昭和四四年一〇月迄、前記健康を保つに必要なぎりぎりの額の最低額で、食生活をするには三七万八円かかるが、当時の生活扶助基準の内で食費として支給されたのは、二三万七、九九〇円に過ぎず、その不足額一三万二、〇一八円は、右、期間中の生活扶助費の残額即ち、雑費及び光熱費の総額一三万四、〇〇五円にほぼ匹敵する。

従つて当時の生活扶助基準額で被告人世帯が、健康を維持するぎりぎりの額の最低額で生活しても、被告人の家族は、光熱費や雑費に一銭も使えない状態である。

これは被告人家族にとつて洋服は勿論のこと、下着も着られない。水も飲めない、水洗便所はあつても使えない、歯も磨けない、チリ紙も使えない、雨が降つても傘もさせない、ガスも使えない、電気もつけられない状態である。

しかも、以上のことは、健康を保つぎりぎりの金額の最低額で全く無駄なく栄養を摂取することを前提にしているのであり、栄養士が細かく手引きして食生活を行うならともかく、被告人の家族のように一般家庭にとつては科学的に無駄なく栄養を摂取する等ということは不可能であり、実生活の上では、右最低額をかなり越えた額でなければ、健康を維持するに必要な栄養は摂取できないことは、一般社会通念でも当然解ることであり、実際には雑費、光熱費のみならず、教育費住宅費も食費に消えていくのが実状である。

次に雑費について検討すると、前出の厚生省の予算要求説明書によると、昭和四一年当時の生活扶助の雑費は、一般家庭の四分の一程度であり、同省自身この雑費は大幅に改訂しないと要保護者の社会的生存を抹殺することになると認めざるを得ない程、劣悪であり、厚生の指標七五Pの表二四によれば、昭和四三年に於ても、被保護世帯の雑費は一般勤労世帯の雑費支出の二七、六%にしか過ぎないことが明らかであり、これでは他の扶助基準を考慮するまでもなく、社会的生存が不可能である。又、教育扶助についても、子供白書(昭和四七年押第三六五の )の五七Pの表八で昭和四三年度において、小、中学校の父兄が、学校教育について、実費負担する額の六〇%にすぎないのである。

以上の通り、厚生省が科学的と判断している資料によつても、当時の生活扶助基準、教育扶助基準が劣悪で生活保護法三条、八条二項、憲法二五条の健康で文化的な最低限度の生活とは程遠く違憲・違法な基準である。

それにもかかわらず、原審は生活保護基準が違憲・違法とは断じがたいと判断したが、それは、憲法二五条、生活保護法一条、二条、三条、八条、一二条、一三条の解釈適用、採証法則を誤り、重大な事実誤認、理由不備、審理不尽の違法を犯したものである。

(中略)

第四点

原審が本件行為に刑法二四六条一項を適用したのは、生活保護法八五条及び、刑法二四六条一項の解釈適用を誤つたものである。

生活保護法八五条本文及び但書を、文理に従つて形式的に解するならば、不実の申請……により保護を受け、又は、他人をして受けさせた者の殆んどは、同時に刑法二四六条の定める詐欺罪に該当することを免れないだけでなく、又、その他不正の手段により保護を受け……た者の殆んども、刑法二四九条の恐喝罪や同法一五五条以下の文書偽造罪等に該当することを避られないであろうから、従つて右八五条本文のみに該当し、いかなる刑法の正条にも触れない行為というものは、殆んど皆無に等しく、右八五条本文は無意味な規定になつてしまう。

そもそも八五条本文の法意は、生活保護法に関する不正受給がたとえ、構成要件的には、自然犯たる詐欺罪等に該当しても、以下に述べるような理由から、一般に承認された反社会的行為、自然的犯罪行為とすることが不適当であるので、これとは別して特別の行政犯罪として、類型づけたものである。

これと同じように特別の行政犯罪として類型づけた例は他にも少くなく、その代表的なものに、所得税法第二三八条がある。同条は偽りその他不正の行為により……所得税を免れ、又は、所得税の還付を受けた者は三年以下の懲役……すると規定しているが、これは、刑法二四六条一項及び二項に該当する場合をあえて、生活保護法八五条本文と同じく、三年以下の懲役としているのである。

生活保護法が特別の行政刑罰法規として八五条本文を設けたのは同法が憲法二五条の生存権の具体化、現実化であり、保護請求権の行使に纒わつて生ずること、保護費が国及び地方公共団体の予算からの支出とはいえ、要保護者自身もその主要な財源たる租税の負担者(保護受給中は物品の購入による間接税を、その前後においては、所得税、市、県民税を納付している。)であること、又、所得税の申告と同じように、自から収入を申告して少しでも多くの収入を認定され、その結果保護受給額を削られたくない(所得税の場合は税金を取られたくない)という感情は国民一般の感情であり、強く批難できないこと、又、それが人間としての生存にかかわるぎりぎりの所で行なわれること等を考慮してのことである。

それでは、生活保護法八五条但書の意義はなにか、同法八五条本文が違法類型として予定する範囲を逸脱する程違法性が強度な行為は、同本文では、なく、刑法本条により処罰する主旨である。

即ち、生活保護法が予定している人でない者、裕福な者、困窮者でない者が保護請求権とは全く無関係に怠情をきめこみ不労所得を得る為あえて、自己の収入を秘匿して、保護費を騙取するような行為類型を、同法八五条本文は予定していないのであつて、その様な行為類型の為に、同条但書をわざわざ設けて、刑法本条によるとしたのである。

又、そのように解しなければ前述の如く、生活保護法八五条本文が無意味になるばかりでなく、所得税法二三八条との均衡を著じるしく失し、生活要保護者の行為なるが故に差別する結果となる。

何故ならば所得税法二三八条も生活保護法八五条もどちらも国に対し所得収入の申告もしくは届出をしないことにより、税金を免れ、若しくは還付を受け、又は保護費を受ける行為である。

所得税法二三八条が刑法二四六条二項の行為を主にしているとしても、同条一項の行為も含んでいる(還付を受け……)のであり、その上同条一項の行為と二項の行為は同価値であり、刑法自体も同価値としていることからも明らかである。

被告人の本件行為は昭和四一年二月に保護を受け始めてからずつと保護費と借金で生活し昭和四三年一〇月に至り、自立助長しようと働き出し、自立する為にはどうしても収入を届出ることはできなかつたという行為であり、当然生活保護法八五条本文が予定している範囲内の行為である。よつて同条但書を適用して、刑法二四六条一項を適用した原審は、生活保護法八五条刑法二四六条一項の解釈適用を誤つたものである。

(その余の控訴趣意は省略する)

弁護人田島久嵩外二名の控訴趣意補充

第一、仮に生活保護基準が違憲、違法でなく、当、不当の問題であるとしても、本件所為につき被告人に対して詐欺罪の制裁を課するべきではない。すなわち、

(1)  国民はすべて、憲法第二五条により健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有しており、生活保護法第二条、第三条により、国に対して具体的保護受給権を有する。

(2)  この保護受給権は健康で文化的な最低限度の生活を営むに足りる適正なものでなければならない。

どの程度が適正保護基準(以下単に適正基準)であるかは、ある時代、ある地域、文化程度、家族構成などの平均的生活水準を構成している諸要素を、生活科学を動員して分析すれば、客観的に把握可能である。

具体的に述べると、

(イ) 厚生省の国民栄養調査などでも随時発表されているが、日本国民が健康を維持するために、どの程度の栄養を摂取するべきかは、科学的に把握可能である。また右栄養所要量を充すために、国民が通常どのような種類、質及び量の食物をとるかは、その時代時代及びその地方地方の家計調査、栄養調査などの結果により平均的国民の傾向を把握出来る。この国民のそひ地方地方の傾向を基準にし、健康を維持するために望ましい食物をも取り入れながら食物の種類、質、量を決定し、料理をする際に当然出る廃棄分をも考慮し、市場価格を掛け合わせてゆけば、その地方地方で国民が文化的で健康な食生活を営むための食費というものは算出出来る。

(ロ) 食費以外の衣類、日常品費、暖房光熱費、水道料、交際費、娯楽文化費、教育費その他の雑費などの生活資料も、都市部、山村部など又はさらに狭い地域に分類して消費支出調査、家計調査などを行つて、その地方地方の平均的国民の消費傾向を把握すれば、種類、質及び量は算出可能である。

右生活資料は、その時代の地域別、世帯別、年令構成別などに分けて分類したそれぞれのグループの平均的消費傾向に基づいて、質、種類、量を把握し、さらに市場価格を掛け合わせ、それを積算することによつて(右生活資料からは明らかに奢侈品とみられるもの又は偶発的支出は控除される)、おのずから、その地方地方における健康で文化的な最低限度の基準が算出できる。

(3)  そもそも国は国民に対し右適正基準に満つる保護受給義務があるが、一方、法第八条第一項により、保護基準設定が厚生大臣に委ねられている。従つて厚生大臣は当然右適正基準に合致するよう生活保護基準を設定しなければならない。右は国民の生存権的基本権そのものにかかわる問題であるから、原則的には制限されるべきものではない。しかし、国の、その時の財政事情により予算配分において、保護基準を適正基準より低く押えて、予算を他に回さねばならないときがある。この場合も、国民全体の生活向上という利益の為にのみ許されるのであり、右制限は必要最少限度に止められなければならない。

右理由以外の、例えば検察官主張のような、低所得者の生活程度、同階層の全人口中に占める割合とか生活保護者の方が優遇されているというような感情的理由によりいたずらに制限することは許されない。

厚生大臣の設定する保護基準(以下単に保護基準)が上昇すれば、低所得者の所得水準も必然的に上昇するし、又生活保護者に対する悪感情は、これまでの蔑視的保護行政の所産に過ぎない。

右の通りその制限は財制事情の理由のみにより、しかも必要最少限度においてのみ許される。

(4)  従つて財政事情により、厚生大臣の設定した生活保護基準が前記適正基準を下回つた場合でも、要保護者は現実の生活保護基準以上の生活保護費の支払いを国に対して求めることは出来ないし、また本件のように保護費を国から受けた場合は、国に対して返還しなければならないという民事、行政上の効果を受けることはやむを得ない。

(5)  適正基準による保護受給権は憲法第二五条に由来する国民の生存権的基本権であり、国が適正基準以下の保護基準しか設定せずにその義務を怠つている場合は、本件のような例では、前記民事行政上の制限の効果内に止められるべきであり、憲法第二五条、生活保護法第二条、第三条より、刑事制裁を課さないのが原則である。

法第八五条の刑事制裁は、例えば厚生大臣の設定した保護基準が適正基準を満す場合に生活保護受給者が他の収入を隠していた場合、又は他の収入と保護基準額を含めた収入額が適正基準を越えた場合並びに適正基準を越える収入を常時有する場合に生活保護を受給したときなどにその適用を予想しているのである。

本件の場合は、適正基準を大幅に下回る保護基準のもとにおいて、しかも被告人が高利貸などより多額の借金を抱えた状態において行われた場合であるから、すべての収入を合算しても適正基準を越えるものではないことは明白である。従つて被告人の所為には、刑罪法規を課するまでの違法性はない。

(6)  しかるに原審判決は、厚生大臣の設定した保護基準が適正基準よりも低いことを認めながら、適正基準額について何も判断せず、被告人の当時の生活保護費を含めたすべての収入が適正基準を越えているか否か判断せず、直ちに被告人の本件所為に違法性ありと認めたことは審理不尽、理由不備、法令適用の誤りがあるといわざるを得ない。

第二、右主張が容れられないとしても、被告人の本件所為は詐欺罪に該当せず、法第八五条本文のみに触れるに過ぎない。既に控訴趣意書第四点において詳述したが、さらに左の通り理由を附加する。

現行生活保護法が昭和二五年に制定、施行された当時、財政事情は非常に緊迫しており、そのため保護基準は非常に低く、適正基準にはるかに遠いものであつた。このため、本法制定当時、保護世帯が隠れて内職などをして別途収入を得る場合が非常に多いことが十分予測された。この場合、保護受給者が詐欺罪を犯していることになるのは自明のことである。しかし、かかる者にすべて刑法の詐欺罪などの適用をすることは、一方国が適正基準による保護受給義務を怠らざるを得ない状態にあつたので、憲法第二五条の規定から好ましくないと考え、わざわざ法第八五条の罰則を設けたのである。すなわち、国が適正基準による保護受給義務を果していない状態においては、生活保護を受けている国民が、自からの手で適正基準になるべく近い生活をしようと隠れた別途収入を得たとしても、新憲法上においては、刑法における可罰的違法性はない。単に生活保護法上の違法性しかないということで、法第八五条を設けたのである。しからざると、法第八五条は何の目的で設けられたのか、無意味な規定になつてしまう。

それでは刑法上の詐欺罪はどういう場合に適用があるかというと、既に控訴趣意書第四点で述べたように、生活保護法がそもそも予定していない適正基準以上の収入を得ている者がそれを隠して生活保護を受けた場合とか、保護基準額以外に隠れて得ていた別途収入と保護基準額との合算額が適正基準を越える場合などである。前記第一点で述べた通り、被告人が本件犯行に至つた頃の保護基準は適正基準よりも大幅に低いものであり、被告人が返済せねばならぬ借金をも考慮すると、右差額を少しでも埋めるために被告人が病身に鞭打つて働きに出て、それを隠して本件所為に出たことは、少くとも詐欺罪の違法性を欠くものであると確信する。

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